平成最後の回顧録
平成が終わる。
21世紀に代わったあの瞬間のような、高揚感はない。
あのとき小学生だったぼくは、近未来的な何かの訪れを確かに感じていた。
ように思う。
振り返りなんて豆な人なら毎年年末にやっているのだろうけど、
今日は妻子がいないのでたまには物書きにでもふける。
▼学生時代
思えば大学を卒業したのはもう10年も前のことになる。
- 自分が部長だったインカレサークルのMTGに誰も来てくれなくなった。
- 全国コンテストで脈絡なくムーンウォークしてめちゃくちゃ先輩に怒られた。
- とにかく死ぬ気で頑張れ!みたいなビジネスコンテストで普通に寝た。
- ヒッチハイクしてみて、意外と世の中の人って優しいし何とかなるなって思った。
▼新社会人時代
新社会人で入社した会社は、5年勤めて辞めた。
- 新卒で子会社の社長をやらされていた同期が蒸発した。
- その時子会社のNo.2だったぼくは、社長にはなれなかった。
- マネジメントも一部の人からはボロカスに言われた。ただ、アルバイトの人の一部は若いのに頑張っているという評価をしてくれて、ちゃんとついてきてくれた。
振り返っても、結局あの転職は逃げだったのかもしれない。
もっと大きな仕入れをすることや、大きな企画を作ることもできた。自分にはその力がないと思ってできなかったのかなと思う。
▼2社目時代
現職でそろそろ2年半になる。
- 委託先、インハウスそれぞれの管理で20名の管理をしている。
- QAや発注先との調整・判断事項が多く、業務負荷は高め。
ストレングスファインダーでは確か、「成長促進」「原点思考」「調和」「適応性」「個別化」が出ていて、あたってんなーと思う。
学生時代の誰もついてきてくれなかったトラウマとか、とにかく業務量がクソみたいにある中人海戦術でなんとかしなきゃいけないという負荷とか、その辺が影響はしていると思う。
中間管理職は非常に自分としても主戦場だと思っていて、部下たちの意見をいかにすいあげるか。彼らが個々に持つ原点となる部分を刺激して、うまく一緒に成長していきたいというスタンスが、会社を変えても特に変わらない。
自分のスキルセットってなんなんだろうといつも思うが、やはり中間管理職にほりこまれて、上と下の間を取り持てるというのが理想の一つなのだろう。
現に、意思決定の主体になりたいと思うことは全然ない。
社畜と揶揄されても結構だけど、方針があったほうが動きやすい。
「マネジメントで信用されないのはなぜか。知識が足りないからだ。」
これを現職の上司から言われている。
(上司も、自分自身がかつての上司に教わったんだという伝え方をしてくれたのだが)
僕がすべきことは。
知識を得ること。マネジメントとか業界のことに関わらず。
違う職種も知りたい。
もっと足りないことがあるということを自覚してやっていかないと、
きっとこの先自分の思うように生きることはできない。
若さなんてすぐなくなっちゃうんだから。
はーがんばろ。