【洋画】時計仕掛けのオレンジ
もっとナンセンスでもっとバイオレンスなのかと思った。
ちょっと前評判に期待しすぎたかもしれない。
ストーリー的にはカッコーの巣の上で的な雰囲気な気がする。
意外と人間の尊厳や本性への言及かなと思った。
殺人を犯した人に、暴力に嫌悪感を覚えるよう刷りこみを行い、
本能的に暴力や性行為といった倫理にもとる(と思われる行為)をできなくする。
マクマーフィのロボトミーと重なった。
双方犯罪者で、善なるものを意図的に押し付けられる構図。
でもマクマーフィは死に、ああと自由の象徴となる友人の逃走で物語が終わる。
アレックスは洗脳が解け、邪悪な笑みで物語が終わる。
カッコーの巣の下では、正しいことへのアンチテーゼだったと思う。精神病院内の規則だけを善とし、逸脱すると罰を受ける。悪とはなんだ?人間性を殺されてまで守らなければいけないのか?という明確な問いかけがある。
時計仕掛けのオレンジは。
殺人や強姦はポップに描かれ、若年の悪事を肯定してるように見える。というレビューを見た。そして、彼は最後にはもとの悪事の世界に戻っていく。
なんか救いがない。彼が得た教訓もなければ、彼を利用しようとした政治家も、政治家を失脚させようとした作家も、誰も結果として人間性に善たる影響を受けていない。(作家の憎悪はあったにせよ)
結局人間の悪意は変わらないのではないか。
何があったところで、人間性というのは本能にさかのぼれば悪意でしかない。
ということなのかなとおもったけれど、物足りない。
他の方のレビューを引用させていただきます。
肉体的苦痛への恐怖が犯罪行為を思いとどまらせるとき、それは善だろうか?
暴力に嘔吐感しか催さなくなったアレックスを見て、刑務所の牧師は政府にそう詰め寄る。たしかに非行は防げるかもしれない。だが、人間は自らの善意志によって善をなすべきであり、善とは自らの選択の結果に起こったものであるべきではないのだろうか? 大事なのは選択の権利なのではないだろうか? 善と悪を提示された時に、善を選ぶ権利と悪を選ぶ権利は両方とも与えられるべきで、結果として善を選ぶことにこそ、人間の存在の前提があるのではないだろうか?
牧師の話は確かにポイントだったなぁ。
非行を防ごうとした政府の措置はどう語れるべきだったのか。
それに関しては無駄だった、と最後明言されてるから、そこは作品のメッセージになりえたのかな。