お座敷一間

上京してきてX年目の社会人が、少しずつ手の届く自分の一間を広げていきたいブログ

「相談」って誰にも頼れないことを確認するだけのセレモニーだよねという話

ほぼタイトルオチなんですが。
 

人生相談みたいなことって、結局自分のことは自分で決めるしかないという孤独な事実を再確認するためだけの機能しかないよね。

 
って話。
 
先だっての転職したるーというモチベーションが高まっていた折のこと。
転職肯定どんとこいのファシリテーターと、同期人事、相談してた転職エージェントにも話すことができたんですが、概して言うと「なんとかなるから自分で意思決定しなさい」というのがアドバイスの至る終着点であった。
 
これに関してはマジでそうですよね、という感じ。ちゃんとした人は他人の意思決定に口を挟まない。(と僕は思っている)
 
それは同時にあなたの意思決定を尊重するということだ。そして、どんなに頑張っても他人の人生の責任などとることはできないということを理解しているということでもある。(と僕は思っている)
 
結局のところ、自分のことは誰かが決めてくれることはない。自分で悩んで自分でやるしかない。
 
ということをまざまざと実感させられるだけだというのはともかくとして、それでも自分の考えを自分で発言して整理する機会を得るというのはとても大切なことであった。
 
主には自分の不満点の洗い出しだったし、駄目出しだった。
それらを踏まえてやっぱり一度自分の考えを外に置いてみるというのは必要なプロセスであるように思う。
 
アドバイスというものは、その人の過去の事例をケーススタディ的に聞くのが精々なのである。
とはいえ、実際いろんな「なんとかなる」を聞けたことは、踏み出す一歩にはなりえる。
自分の判断に対しての事例共有もいただけるわけで、それはきっと有用であろう。
 
 
逆に、「自分の意思決定を預けられるだけの決断を代行してもらう」ことができる人にとってはアドバイスが全てなのだと思うけど、その中に魅力的な人がいるとは到底思えない。
 
もっと泥臭く、自分で自分を選んでいく人こそ、やっぱり面白いんだろうなと思うし、そういう人たちと面白いことをやっていきたいからこそ、自分もそうありたいと思う次第。
 
そして、僕に人生相談するということは、あなたの意思決定に僕は介入しませんよと伝えることでしかないので、あまり役に立たないと思います。