お座敷一間

上京してきてX年目の社会人が、少しずつ手の届く自分の一間を広げていきたいブログ

自分の価値観を変えると意気込んでカンボジアに行った費用20万円は未だなお僕のお財布に戻ってこない話

成人直前にカンボジアに行ったんですが、これといって人生のプラスになってない


というだけの話です。

動機

  • 成人するのに社会問題に対する現状認識もないままでいいのか
  • 本当の意味で社会の貧しさを知って、社会問題に対して危機感を持ちたい
当時、軽くボランティアでもするべと入ったエコサークルに感化され、世の中を良くするためにはどうすんべ。と割とマジメに考えてました。

※カルト的な要素はないです。むしろ遊びの延長のような活動をしてる内に、勝手に僕が「環境に悪いことしてる人類はもっと危機感を持つべきだ」的な思想を持ってたんだなーと今になって思います。
掲げてる題目の割に意識が低すぎる!とかサークル内によくケンカうって反感くらってました。僕も大したことしてないんですが。

まぁそんなエラそうなことのたまう位ならば、自分に経験がないってのは変だよなと思いというなんか本末転倒な順序でいかねば!って思った気がします。

(書いてて恥ずかしくなってきた)


やったこと

…とか。
結構盛りだくさんだったな…確か10日間くらいいました。シェリムアップにメイン宿泊してた。



思ったこと

  • 思想は人を殺す。
  • 村に3つ目の井戸寄贈て。偽善とはこのことか。
  • 虐殺の墓標は骸骨を何千個とショーケースに入れて晒しもの。誰のための弔いなんだ?
辺りは今も覚えてます。

すごいざっくりとしたの僕の理解

  • 原始共産主義という皆農民になれば幸せじゃね思想
  • ポルポトが提唱
  • 全部農民にするためには、先生とか医者とか、知識人階層はいらない
  • インテリは全部殺そう
  • あなたの知り合いにインテリがいたら殺すから教えてね。教えなかったらあなたも殺すからね。
  • お前インテリの場所知ってるだろ吐け!ツールスレン収容所にぶち込むぞ!
  • これら一連の大虐殺をクメール・ルージュとのちに呼ぶ。
  • 虐殺された人々の頭蓋骨がカンボジアのそこかしこに展示されている。(キリング・フィールド)
という感じなのですが、ひょっとしたら違うかも。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5



結構タイとの戦争とか、共産主義国打倒の代理戦争とか、なんだか難しい要素が多々あります。


自分の中で影響が及んだこと


ないです。


クメール・ルージュの知識も、井戸を掘った経験も、基本的には今までの暮らしの中に消えて行きました。

元々自分の価値観の変革、ひいては社会問題に対する根本的な危機意識を持つことを期待して訪れたはずなのに。

なぜ自分は変われなかったんだろう。という漫然とした焦りだけはありましたし、たまに意識高い話するときのネタの一つに使うことはありました。

が、今、仕事をしていて自分の心に響くものはあそこにはなかったんだな、と思いす。

いや、ある時中堅社員が社会の役に立つため!といっていきなり青年海外協力隊に行く、みたいな話があることを考えると、その可能性を否定できるだけで価値があったのかもしれない。

やっておけばよかった、という後悔の可能性をひとつつぶせたのかもしれない。

ただ今んとこやっぱり表題のごとく、仕事において会話のきっかけにすらなったことはないので、払ったお金が財布に寄与することはなさそうです。

もっとボロクソに「意識たけーやつ意味ねーかんな!クソして寝ろ!」みたいな無闇に刺激のある文章にしようとおもったら、思いがけないソフトな着地になってしまった。

自分のことでも大変なんだもんな。
一つ通すのは。