華麗なるギャツビー
レオナルド・ディカプリオがもうほんとレオナルド・ディカプリオしてた。
傲慢で、思い上がって、なんでも自分の思う通りになると思ってた。いや、それがハマリ役ってお前はレオ様の何を知ってるねんって感じですが。とにかくそういう力強い業を演じたらすごいなって思います。他の主演作インセプションくらいしか見てないけど。
そんな彼の豪華絢爛なバブルパワーの描写たるやすさまじくカネをかけていて、ところが目的が不明なまま躍り狂う方々の映像というのは、なんとも虚無的な像がありありと伝わってくる。元カノに会いたいなーって来ないかなーってパーティをとりあえず開いてるお茶目なレオ様。
愛しのあの子とサシになったら急にモジモジし始める。
と思ったら、過去が再現できない訳なんてない、みたいな自尊に満ち溢れた言動もある。
レビューサイト曰く、アメリカの繁栄への回顧欲求がこの作品の評価を押し上げているのだという。
なんせ初出の映画は1974年で、今までで3回リメイクされている。
好きすぎやろ。
ああ、まぁでもそういうことなんだろうな、と。
成功体験としては余りにもきらびやかで。1人の女性を愛するが余り、殺されてもそれを信じ抜くということに対する賛美やら、愛する女性を手にするためにあらゆる困難を乗り越えてきたところとか。
最後はグレートと付けられるように、彼は容認され賛美される存在であったのだ。
個人的にはレオ様がクソハマリ役だったな、というのが一番で、内容としてはそんなに好きでも嫌いでもないなと思う。ただ人の生き死にがあったな、というだけだ。そこに人生の意味だとか問うても意味がない。