カラオケ論
娯楽の一つとして、カラオケというものがある。
かくいう僕もカラオケを通じてたくさんの友人を得ることができた。
でももともとはすごい嫌いだったんだよな、
と先日会社の送別会で参加したカラオケで思いだしたので、それを記しておこうと思う。
職場の送別会のカラオケなので、職務でかかわりのある人もない人も含め、20人位がずらっと椅子に座っている状態になった。
気心の知れない人とのカラオケって、ほぼ100%マイクの譲り合い起きないですか?
特に最初の1曲とか中々誰も入れないみたいな状況になる。なんでその程度の覚悟でカラオケ行こうぜ!ってなるのかがあんまわからんけど。
皆さんの様子を見ていて、過去自分が初めてカラオケに行ったときの記憶が呼び起こされた。
カラオケの嫌なとこ
1.恥ずかしい
曲を選ぶのも、へーこういうの好きなんだ?とか判断されそうだし
大きい声で歌ってたら、へー自信あるんだ?とか思われそうだし
己の趣味嗜好と能力をなんでデカイ声で聴衆に発表しなあかんねん
という恥ずかしさがすごかった。
2.孤独
1曲歌いきるまで終わらないんですよ!?
しかもその間マイクを持ってるのは自分一人で、武器は声だけ。
間奏とか何?みんなどうして過ごしてるの?
3.何が正解かわからない、拒絶感を感じる
上記2点が臨界した結果、マイクを持ってすいませんみたいな気持ちになる。
あれ、僕だけですかね。歌の聴き方なんて限界あるじゃないですか。
野次入れてあげるくらいでしょ、優しさなんて。
きっと歌の上手い人は、聞かせる自信があるんだろうけど、
そういう自己肯定感があんまりないタイプには厳しくないですか。
大学生になってカラオケに連れていかれた時、
歌いなよってマイクを渡されてマジで処刑台に行くときの気持ちだったから。
ステージまでついてたから。
この1曲5分で僕は何かを誰かに評価されちゃうんだよなって。
すごく憂鬱でした。
最初にうたったのはバンプオブチキンの fire signでした。
単純に急に音程が高くなるとことかなくて、なんとか歌いきれそうだなって思ったからだったと思う。当時は今よりもっと知ってる曲が少なかった。
カラオケに行くなんて思ってもみなかったから。
ちなみに選曲が選曲だったので、fire signはみんなしっとり聞いていた。歌ってる側はもうヒヤヒヤものだった。
その辺がスタート地点にあるからか、僕のもっているカラオケ論は
孤独とか寂しさとか、カラオケの場ではそういうものがなくなればいいな、
安心で安全で、自分が何をうたってもいいんだって思ってほしいな、
というのがある。
幸いというかなんというか、大学のサークルはそういうカラオケを盛り上げようという気概を持ってる方々が多く、盛り上げの基礎連はそこで培った。
体系的に整理すると、究極下記になる。
カラオケの嫌なとこをなんとかするためのアクション
1.一緒に歌う
邪魔と思われるかもしれないんだけど、僕は自分の歌に自信がないので一緒にガイドしてくれる人がいるのが一番ありがたい。何よりこの曲を知っているということ、一緒に盛り上がることができる、アナタの選曲を肯定している人がここにいるよ、という安心感につながると思っている。でも邪魔だったらごめん。
2.間奏中一人にしない
リズム取るくらいしかやることないじゃないですか。芸達者な人なら振り付けコピるとか、語り入れるとか、いろいろあるけど。そういう時に適当な寸劇でもなんでも突っ込んでいく。体力が適切にあれば合いの手を叫び続けるだけでもいい。邪魔だったらごめん。
3.共有ポイントを明確にする
二人でカラオケ行ってるならともかく、大体複数人いるわけじゃないですか。自分一人じゃ聞いてるよっていうアピールも限界がある。良心ある人がきいていたならきっとある程度同じようにちゃんと聞いてるよって伝えたいと思ってくれるはず。サビ前にカウントするとか、せーのっていうとか、一緒に何かをするタイミングを可視化すると、全体で取り組める何かを共有できる。これを作り出せれば、場としてその人が肯定されているということが可視化できたんだ、と思える、はず。邪魔だったらごめん。
というような原理でカラオケに取り組んでいるため、基本的にうるさい。
邪魔だったらごめん。ホントごめん。
なので自分が曲を歌えなくてもそんなに問題にならない。
こんな程度のコンセプトでも、継続というのはすごいもので、やってるうちに練度が上がって"ガヤ"という概念を共有できたりした。
人によって"ガヤ"の定義はまちまちではあるが、概ねその場を盛り上げようというアクションであることは間違いない。
少なくとも僕にとって、何かをするときに、一緒に楽しもう、というスタンスで取り組みができる人がわかるのはありがたかった。
カラオケに誘えばどんなやつかわかる、コツコツカラオケ主催を続けて7年近くなる。そうやってできた友人が今でもたくさんいることが、一番ありがたいことである。
きっとお酒が飲める人はお酒の場で、スポーツができる人はスポーツで、そんな友人を見つけるのだろう。僕の場合はその手段がカラオケだっただけだ。
そんなことを送別会のカラオケで思い返していた。
普段職場では寡黙目なキャラクターなので、初めて参加したカラオケで意外と思われるかもなぁと思いつつ、メタに自分のカラオケを思い返す機会になった。
おそらく僕はすべての勝手に入れられた選曲を歌い、歌い手のいない選曲を拾い、帰る帰らんの誰も歌を聞いてない瞬間でもマイクを持ってる人の側にいれたと思う。
そんなに歌うの好きでもない人に回して、特に聞かないあの現象、やな感じだなぁと思う。
何人かここにも場を盛り上げようという人がいたからなんとかなった、そんな気はしている。
そしてやっぱり、カラオケは気の合う人といった方がいいなと思った。
強要や場つなぎが必要なら、わざわざカラオケなんか選ばなくて良い。
コミュニケーションなんて
最近どんどんわからなくなって来ているけど、
マイクを持ったその時の
主役の瞬間と孤独の訪れを
僕は分かち合いたいわけですよ
それを受け入れてくれる人と、
僕はカラオケに行きたいわけですよ
拝